禅的生活

禅的生活
著者:玄侑宗久
発行:筑摩書房(ちくま新書)


禅とは、特定の仏教宗派(日本では臨済宗、曹洞宗、黄檗宗)のことだが、もともとは様々な場面であり得る一種の精神状態のことだという。「生きにくい」といわれる世の中で、「今」「ここ」を充実させて楽に生きる「禅的生活」の智恵を、作家にして禅僧でもある著者が、ユーモアを交えつつ易しく紹介し、様々な「禅語」も丁寧に解説されている。
禅における「自分」とは、理性が把握できる自己ではない。
禅は、理性的思考を超えて、自己の内部に無限の可能性があると認めることから発想を始める。それは、『論語』にある「可もなく不可もなし」という言葉の本来の意味である。
禅は、何らかの感情に染まった「心」をバカにする。そして、「世界の在り方を観ようと思うなら、まず世界が心で造られたものだと見極めよ」と説く。
心を曇らせるのは、記憶をもとにした価値判断や歴史認識である。その曇りを「妄想」と呼ぶ。坐禅瞑想によって、その曇りが晴れた、澄んだ心に達しようというのが、禅である。
価値判断から解放され、本来の心に辿り着くこと、それが「お悟り」である。悟った心は、比べられないものを比べようとはせず、世界をありのままに受け入れる。
禅は、あらゆる瞬間は独立していると考え、「今」という瞬間を味わいつくせ、と説く。
禅語の「主人公」とは、自分の役に没入できる人のことを指す。禅は、今の自分の役になりきることを強く求める。
禅的生活を心がけるには、現状を全面的に肯定してみることだ。どんなことも「私が望んだことなのだ」と思ってみる。
それが、様々な仏教書に出てくる「知足」である。現状を完全に肯定し、「今」に力強く立つことから、全ては始まるというのだ。