将帥学
著者:加来耕三
発行:時事通信社
加来耕三は1958年に大阪市生まれ、奈良大学文学部史学科を卒業し、同大学研究員を経て、歴史家・作家として、正しく評価されない人物・組織の復権をテーマに、著作活動を行い、著書に『信長の謎〈徹底検証〉』『家康の天下取り関ヶ原勝敗の研究』『参謀学戦略はいかにして創られるか』などがあります。
時代が揺れ動く時、リーダーに求められるものとは?戦国乱世に生きた英傑たちに、大変革期におけるトップマネジメントのあり方が学べます。
本書は、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康など戦国期の武将が、将リーダーとしていかに腕を振るい、乱世を生き抜いたのかを詳察する中で、リーダーたる者が時代を超えて踏まえるべき原理・原則を明らかにしようとしています。
人を使う上で、信長・家康・秀吉にはそれぞれの特徴があり、信長は、人を銃砲などと同じく"システム"として捉え、その機
能が優れていれば、たとえ浮浪者であろうと抜擢し、重用し、家康は、"内と外"の人間を使い分け、家臣団を大切に扱う一方、
外部の者には「都合よく活かしてうまく捨てる」姿勢を貫き、秀吉は、人情の機微と金銭に関する欲望を刺激することで、見事
なまでに他人のやる気を起こさせたのです。
戦国時代、大軍の敵と対する時は"籠城"するのが常識だったのですが、信長は桶狭間の戦いで、兵力ではるかに劣るにも関わらず、奇襲攻撃に出て今川義元を破り、物事の判断を「非日常」に置き、可能・不可能を簡単に判断せず、「やらねば生き残れない」という気概で事にあたるか否かという点が、信長と義元の差であり、戦いの勝敗を決める決定的要因となったのです。
秀吉は、主君・信長の目に止まるため、人の「三倍」働くことを心掛け、「三上」の教え(「読上」「馬上」「面上」でも励み、寸暇を惜しむ)を実践し、寸暇を惜しんで信長に仕えたおかげで、信長の心中が即座にわかるようになり、その戦略・戦術を自らのものとすることができたのです。
秀吉の"中国大返し"は、本能寺の変以前に彼が信長の万が一を予測していたから成し遂げられたというのです。普通、"突発的"に見える事件でも、必ず何らかの予兆があるのですが、多くの人はそれに気づかない。秀吉が例外であり得たのは、全てを捧げて信長に仕え、その"何をしでかすかわからない危うさ"をよく知っていたからだというのです。