人生生涯小僧のこころ

「人生生涯小僧のこころ」
塩沼亮潤/著
致知出版社
1,680円

生きていくうえで大切なことはなにか。千日回峰行という修行は、往復四十八キロ高低差千三百メートル以上の山道を十六時間かけて一日で往復し、九年の歳月をかけて四万八千キロを歩くという荒行です。
この本は、過酷な千日回峰行を成し遂げた塩沼亮潤氏が、千日回峰行の修行の末につかんだ世界を、淡々と語ってくれています。
本の内容は、千日回峰行とはどういうものか。私を行に向かわせたものとは。千日回峰行までの道のりとは。心を磨く千日回峰行とは。いつも次なる目標に向かって。流れの中でありのままに。などです。塩沼亮潤氏が修行を始めた金峯山寺は、約1300年前に、役行者によって奈良県吉野に創立されたお寺です。
千日回峰行は役行者が、末法の世を救う本尊の出現を願って始めた難行苦行で、ひとつだけ掟があり、いったん行に入ったなら、決して途中で行を諦めることはできないというものです。万が一行を途中でやめるときは、自分の不徳を神仏に詫び、左腰に携えている短刀で自害するか、死出紐で、首をくくらなくてはなりませんので、千日回峰行は命懸けの修行なのです。
地下足袋は3日も歩けば足が腫れ上がり、足が納まらなくなるというのです。朝、目を開けると、身体が思うように動かない日があるというのです。膝に水が溜まった状態でも、無理にでも足を動かさなければ、行が終わってしまうのです。調子の良い日、悪い日ではなく、悪いか最悪かのどちらかだというのです。修行の間は、常に膝、腰、足、歯、胃の激痛に襲われ続けるというのです。高熱で意識が朦朧とする日もあり、腹痛と下痢で何も食べられない日もあるというのです。なんとマムシや熊、猪と鉢合わせになる日もあるというのです。強風にあおられ、大雨に打ちつけられ雷雲の中に入ってしまうこともあるというのです。
アクシデント、トラブルは日常茶飯事で、490日目あたりの10日間は、特に激しく体調を崩し、1日に1キロずつ痩せたというのです。生死の瀬戸際で修行の正念場だというのです。
489日目の日記には腹痛い、たまらん。体の節々痛く、たまらん。道に倒れ木に寄りかかり、涙と汗と鼻水垂れ流し。でも人前では毅然と。俺は人に希望を与える仕事、人の同情を買うような行者では行者失格だと言い聞かせ、やっと帰ってきたと書かれています。494日目の日記には、今までにない苦しみ、下痢は20回以上、食ったもんは2時間で出てくる。 小便は出ない、出ても真っ茶、いやこげ茶色。道端に倒れ、泣いて、ただ必死にボロボロになってたどり着いたと書かれています。
壮絶な修行の中で、はじめは「何とか悟らねば」と肩に力が入って、力任せに山を駆け巡っていたというのです。だんだんと自分の存在が大自然の中で、いかにちっぽけであるかに気づいたというのです。
塩沼亮潤氏は「人間は雨を降らすことも風を吹かすこともできない存在である、けれども大自然の中のかけがえのない一員なのだ」そう気づいてからは大自然と同化し、肩の力が抜けて、氷の上をすーっと滑るような、足腰に負担のない歩き方ができるようになったというのです。
「行というのはこういう行じ方をするんだな」とすべてがわかったところで、ちょうど千日が終わっていたというのです。